ー 目次 ー
1.インドネシア経済の成長と主要指標の推移
インドネシア経済の急成長
インドネシアは2000年以降、安定した経済成長を続けています。年間GDP成長率は2000年代から2010年代にかけて概ね年5%前後で推移し、2012年には主要20か国(G20)の中で中国に次ぐ高成長率を記録しました。
例えば、2000年の成長率は約4.9%、2010年には約6.2%、2019年も5.0%と堅調でした。新型コロナ禍の2020年には-2.1%と落ち込みましたが、その後は2021年+3.7%、2022年+5.3%と回復し、足元でも5%前後の成長を維持しています。
この安定成長により、一人当たりGDP(名目)は2000年に800ドル足らずだったものが、2023年には約4,900ドルにまで増加しました。約20年で6倍以上にも伸びた計算で、国民の平均的な所得水準が大きく向上したことが分かります。
その他指標の改善
こうした経済発展に伴い、国民生活の様々な指標も改善しています。例えばインドネシアの若者の識字率は2020年時点で96%に達し、教育普及による人的資本の向上が見られます。また国内総生産に占める工業・サービス部門の比率が拡大し、都市部を中心にインフラ投資も進みました。
特に近年は国内の中間層が台頭し、消費市場も拡大しています。中間所得層の増加は住宅、自動車、教育など様々な分野への支出拡大につながり、さらなる経済成長の原動力になっています。
加えて、インドネシア経済を支える特徴として中小企業の活発さが挙げられます。インドネシアでは事業者の99%が中小零細企業であり、総雇用の約**97%を吸収し、GDPの約60%を生み出しています。
いわば「経済の背骨」として無数の中小企業が経済活動を下支えしており、零細な家内工業から新興スタートアップまで、人々の起業家精神が経済全体の底力になっています。このように民間活力を広く取り込めることも、インドネシアの成長を持続させる強みと言えるでしょう。
2.人口構成と「若さ」の利点:日本の高度成長期との比較
人口構成の有利さ「人口ボーナス」
インドネシアの発展の背景には、人口構成の有利さ、いわゆる「人口ボーナス」があります。総人口約2.8億人(2025年推計)のうち、15歳〜64歳の生産年齢人口が約70%を占めており、働き手となる若い世代が非常に厚いのです。
実際、インドネシアは現在まさに人口ボーナス期を迎えており、政府も「2045年までに先進国入りし世界第5位の経済大国になる」という“ゴールデン・インドネシア2045”ビジョンを掲げ、この若い労働力の活用を成長の鍵と位置付けています。
政策立案者によれば、生産年齢人口は2030~2035年頃にピークに達する見通しで、それまでに効果的に若者層を雇用・教育することが経済発展の持続に不可欠とされています。
今のインドネシアはかつての日本
一方、日本の高度経済成長期(1950〜70年代)もまた、戦後のベビーブーム世代の成長により労働力人口が豊富で、経済発展を下支えしました。
1970年の日本は総人口約1億700万人で、その時点での生産年齢人口比率は約68%、高齢者(65歳以上)比率は7.1%程度でした。これは現在のインドネシア(生産年齢約68%、高齢者約8%)に近い構造です。
つまり、「若い国」であること自体が経済の活力源となり得る点で、インドネシアはかつての日本に似た好条件を備えていると言えます。
また平均年齢を比べても、インドネシアは約30歳(2025年時点)と非常に若く、日本が高度成長を遂げていた1970年前後の平均年齢(28歳程度)とほぼ同水準です。この若年層の多さは、新しい技術や文化を吸収する柔軟性、そして旺盛な消費意欲につながり、経済にダイナミズムをもたらします。
インドネシアの都市人口比率(全人口に占める都市居住者の割合)は、高度成長期の日本と同様に急増しています。
1960年に15%未満だった都市人口比率は、1980年に20%台、2000年頃に40%台となり、2023年には約58.6%に達しました。都市への人口集中は近代的な産業・サービス業の発展を促し、一人当たり生産性の向上に寄与します。
日本でも1960年代に都市化が進み、それが工業生産の拡大と大量消費社会の形成を支えました。インドネシアも足元で同じような都市化の波を迎えており、都市部中産階級の消費が経済を牽引しています。例えば大都市ジャカルタやスラバヤでは大型ショッピングモールが林立し、若者を中心に自動車や家電製品の普及が進んでいます。
都市化と人口構成の点で、現在のインドネシアには1950-60年代の日本を彷彿とさせる活気が感じられます。
このように日本とインドネシアの経済発展には共通点が見られますが、一方で課題も存在します。インドネシアでは若年人口が多い反面、若者失業率が17%を超えて高止まりし、高等教育と労働市場のミスマッチが指摘されています。
人口ボーナスを真の成長エンジンとするには、教育の質向上や職業訓練の充実を通じて若者の技能を高め、適切な雇用機会を創出する必要があります。これは高度成長期以降の日本が直面した課題(労働力の高度化や産業構造転換)とも共通する点です。
インドネシア政府もこの問題を認識しており、中等教育から職業教育への連携強化やスタートアップ支援策などに取り組んでいます。
以下の表に、現在のインドネシアと高度成長期の日本の主要な人口・社会指標をまとめます。
指標 | インドネシア(最近) | 日本(高度成長期頃) |
人口総数 | 約2.84億人(2025年) | 約1.07億人(1970年) |
年少人口割合(0~14歳) | 23.9%(2022年) | 24%程度(1970年) |
生産年齢人口割合(15~64歳) | 68.3%(2022年) | 約68%(1970年) |
老年人口割合(65歳以上) | 7.8%(2022年) | 7.1%(1970年) |
都市人口割合 | 56.6%(2020年) | 約72%(1970年)※ |
一人当たりGDP(名目) | 4,900ドル(2023年) | 約2,000ドル(1970年)※ |
識字率(15歳以上) | 96%(2020年) | 99%(1970年)※ |
※日本の都市人口割合および1970年頃の一人当たりGDPは推計値です。当時の日本は既に高度に都市化・工業化しており、都市人口割合は1970年前後で70%超、1970年の一人当たりGDPは購買力平価換算で約2,000ドルと推定されます(名目為替レートではもう少し低く出ます)。いずれにせよ、現在のインドネシアは人口構成や都市化率で過去の日本と似た局面にあり、これが成長の追い風となっています。
3.自動車文化の広がりと国民の向上心
インドネシアのモータリゼーション
経済成長と所得向上に伴い、インドネシアでは自動車やオートバイの普及が著しく、いわゆる「自動車文化」が浸透してきました。現在インドネシアには約1億3,300万台ものオートバイが登録されており、世界有数のバイク大国となっています。また乗用車も1,700万台以上にのぼり(2022年時点)、毎年数十万台規模で市場が拡大しています。
こうした車両の爆発的増加は、人々の所得向上と中間層の拡大を象徴する現象です。かつて日本でも1960年代に「マイカーブーム」と呼ばれる自家用車の急増期がありましたが、インドネシアでも似た状況が見られます。
車やバイクを持つことが豊かさの象徴となり、都市部を中心にモータリゼーションが進んでいるのです。
ジャカルタなど大都市では朝夕の通勤時間帯に写真のような渋滞が日常化しています。
公共交通の整備が追いつかない中、人々は便利さを求めて自家用の車やバイクを購入し、その数は年々増え続けています。
2020年以降は新型コロナ禍で公共交通利用が減った影響もあり、かえって自家用車志向が強まったとの指摘もあります。こうした旺盛な消費意欲と利便性への貪欲さが国内の自動車産業や関連サービス市場を活性化させ、経済成長を下支えしています。
自動車文化の広がりとその影響
自動車文化の広がりはインフラ整備や環境問題など新たな課題も生んでいますが、人々の生活水準が向上し意欲が高まっている証でもあります。
実際、道路網の拡充や日本などからの自動車メーカー進出が進み、現地生産も活発化しています。トヨタやホンダといった日系メーカーはインドネシアに大規模工場を構え、現地向け小型車やオートバイを生産しています。
その結果、製造業分野の雇用機会が増え、技能移転も進みました。工場の労働者たちは日本企業から生産管理や改善活動のノウハウを学び、品質意識を身につけています。
インドネシア人の勤勉さやハングリー精神
インドネシア人労働者の勤勉さと向上心は日本企業からも高く評価されており、現地法人の経営者によれば「真面目で手先が器用な人が多く、日本のものづくりの歴史を追体験するような成長が見られる」との声もあります。
このように、経済成長の過程で醸成される働き手の勤勉さやハングリー精神は、インドネシア社会の活力の源泉でもあります。ある日本人観察者は、インドネシアを訪れて「生活を向上させようというハングリー精神をビシビシと感じた」と述べています。
高度成長を目指す新興国特有の熱気とエネルギーが、人々の勤労意欲や起業マインドに表れているという指摘です。実際、都市部のみならず地方の農村でも、小規模ビジネスを始めたり副業で収入増を図ったりする動きが広がっています。インドネシアの若者たちはSNSやデジタル技術にも明るく、新しいチャンスを掴もうという野心(アスピレーション)を強く持っています。この国民の前向きな姿勢が経済全体の底上げを後押ししているのです。
4.中小企業の現場から見る勤勉と成長志向
インドネシア人の特徴を示す事例として、「インドネシア・ヤクルト社」をあげます。日本発祥の乳酸菌飲料ヤクルトは、1991年にインドネシアで製造販売が開始されました。
当初は冷蔵流通の難しさなどから苦戦もありましたが、地道な販売網拡充と現地ニーズへの対応で徐々にシェアを拡大しました。特に注目すべきは、1万人以上の「ヤクルトレディ」と呼ばれる女性販売員を全国に抱え、訪問販売で商品を届ける独自のネットワークを築いたことです。この仕組みが功を奏し、現在インドネシアでは1日に約700万本ものヤクルトが飲まれるまでになりました。
それでも国民の2%強にしか行き渡っていない計算で、まだまだ伸びしろがあるとされています。ヤクルトレディの多くは主婦など地元の女性で、「家計を助けたい」「子供の教育費を稼ぎたい」といった向上心やハングリー精神を持って働いています。
ヤクルト社は彼女たちにきめ細かな研修を実施し、栄養知識や接客術を教えることで販売力を高めました。その結果、ヤクルトという商品だけでなく働く場としてのヤクルトが地域に根付き、同社は30年以上事業を継続するロングセラー企業となっています。
この事例は、インドネシアの人々の勤勉さと貪欲なまでの向上心が企業成長に直結した事例です。
また、最近ではインターネットやスマートフォンを活用した新興企業の台頭も著しく、中には「GoJek(ゴジェック)」や「Tokopedia(トコペディア)」のようにユニコーン企業(評価額10億ドル超の未上場企業)に成長した例もあります。
GoJekはバイクタクシー配車アプリから始まり、若者の斬新な発想と行動力で一大スーパーアプリへと成長しました。
その創業者ナディム・マカリム氏はハーバード大学卒業後に帰国して起業した人物で、まさに帰国子女の野心を体現しています。
彼のような起業家たちに刺激を受け、今や多くの若者が「自分も成功してやる」という起業マインドを高めつつあります。中小企業の経営者にとっても、こうした若手起業家の成功談は良い刺激となり、互いに切磋琢磨する風土が芽生えています。
5.おわりに:未来への展望
インドネシアは若く大きな人口と旺盛な成長意欲を武器に、2000年以降持続的な経済成長を遂げてきました。
GDPや一人当たり所得の統計データは、その著しい向上ぶりを物語っています。しかし一方で、高度成長期の日本と同様に、人材育成や雇用創出、インフラ整備など乗り越えるべき課題も存在します。
人口ボーナス期は永遠に続くわけではなく、2030年代半ばには生産年齢人口の増加も頭打ちになる見込みです。そのため、今ある若い力を最大限に活かす政策の巧拙が、将来の成熟経済への移行を左右するでしょう。
幸い、インドネシアの人々は総じて勤勉で向上心にあふれ、生活を良くしようというハングリー精神を強く持っています。
地方から都市への出稼ぎ労働者、夜間に勉強し直す社会人学生、新たな商機を狙う起業家など、例を挙げれば枚挙にいとまがありません。日本の中小企業経営者にとって、そうしたインドネシア人のバイタリティは学ぶところが多く、またビジネスパートナーとして非常に頼もしく映るはずです。
「世界第5位の経済大国を目指す」インドネシアから、日本も多くの刺激を受けています。経済成長の統計に現れる数字の裏には、このような人々の努力と意欲が積み重なっていることを忘れてはならないでしょう。インドネシアは今後も課題を乗り越えながら、若い力と共に持続的な発展への道を歩んでいくと期待されます。

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